《本质论》《起源论》《歌体论》《变迁论》《歌圣评》《六歌仙》《撰述论》《未来论》
纪贯之
一、本质论
和歌は,人の心を种として,万の辞とぞなれりける。
世中に或る人、事、业,刺激物なれば,心に思ふ事を,见る物、闻く物につけて,言ひ出せる也。花に鸣く莺,水に栖む蛙の声を闻けば,息とし生ける者,孰れか歌を咏まざりける。
力をも要れずして,天地を动かし,目に见えぬ鬼神をも哀れと思はせ,男女の仲をも和らげ,彪き武士の心をも慰むるは,歌也。
夫和歌者,其托根於心地,而发华於词林也。人生在世,不能无为。或为人、事、业之所感,以其心思所至,谕於见闻万物,而吟形於言也。夫闻花上莺鸣、水栖蛙声,生息之人,孰不赋歌。
不假外力,即可动天地、感鬼神、和夫妇、慰武士者,和歌也。
纪贯之
一、本质论
和歌は,人の心を种として,万の辞とぞなれりける。
世中に或る人、事、业,刺激物なれば,心に思ふ事を,见る物、闻く物につけて,言ひ出せる也。花に鸣く莺,水に栖む蛙の声を闻けば,息とし生ける者,孰れか歌を咏まざりける。
力をも要れずして,天地を动かし,目に见えぬ鬼神をも哀れと思はせ,男女の仲をも和らげ,彪き武士の心をも慰むるは,歌也。
夫和歌者,其托根於心地,而发华於词林也。人生在世,不能无为。或为人、事、业之所感,以其心思所至,谕於见闻万物,而吟形於言也。夫闻花上莺鸣、水栖蛙声,生息之人,孰不赋歌。
不假外力,即可动天地、感鬼神、和夫妇、慰武士者,和歌也。